思わぬ録音に残っていた日本人 作曲家の、ある日の声〜そして誰も知らずに消えゆくレコード

ビクター・ミュージック・ブック『渡久地政信 自選作曲集』


歌手、後に作曲家として有名になった「渡久地 政信」氏。
もう随分前になりますが、私は彼の名前を
アメリカで作られた特殊なレコードで知りました。
それは、音楽家達のおしゃべりを録音して
作られたアメリカのレコードで、
一般市販品ではなく、
もうほとんど残っていない中の、やっと見つけ出した1枚でした。

その中に「ちょうどアメリカに来られたので・・・」
ということらしく、
片言の日本語で「トクチー、マサノブさん」と紹介され、
御本人がカジノで損をしたことなど、
ちょっと話をしているんですね。

「この方は一体誰だろう??」と思いながら、
レコードを聴いていました。そこでエキゾチックな
インスト曲が流れ、『おひゃくどこいさん・・・』と紹介されました。
言葉で聞くと、「はて、おひゃくどこいさん?」
一体なんのこっちゃ??? ってなってました(笑)

ヤフー検索に“おひゃくどこいさん” と入力すると・・・
出て来ましたね・・・
『お百度こいさん 和田弘とマヒナ・スターズ』が。
そこで、「マサノブさん」とは「渡久地 政信」という
作曲家を紹介していたのだと(苦笑)

渡久地 政信(とくち まさのぶ)氏は、
沖縄の国頭郡恩納村で、大正5年10月26日の生まれ。
18歳で長崎に働きに出た後、昭和11年に徴兵で歩兵隊入隊。
その年に支那事変が勃発し戦地へ。
昭和13年2月、右胸部に貫通銃創を受けて、
野戦病院で療養しながら日本大学芸術科で
声楽と作曲の基礎を修学されたそうです。

その後、日本ビクターから、
歌手「貴島 正一」としてデビューするも売れなかったとのこと。
第二次大戦後、日本ビクターが
経営困難ゆえの人員整理の対象にされて退社。

昭和26年の夏、歌手をやめ、今度は作曲者として活動。
この年の秋に『上海帰りのリル』がヒットしました。
『東京の椿姫』『マドロス追分』『お富さん』等々のヒットを
キング・レコードから出し、
今度は作曲家「渡久地 政信」として日本ビクターへ戻りました。

ビクター・ミュージック・ブック『渡久地政信 自選作曲集』
中に両面盤で4枚のソノシートが入っています。
『お百度こいさん』が入っているソノシート。
渡久地政信 氏の声が入ったアメリカ盤は撮影していません。


写真のビクター・ミュージック・ブック『渡久地政信 自選作曲集』で
御本人が執筆された簡単な半生記だけ拝見しても、
壮大な物語だったことが想像されます。

この中の写真のキャプション(説明書き)に
「昭和37年渡米当時」というのがあるので、
私がアメリカのレコードで聴いた氏の声は、
この時(昭和37年、1962年)の録音だったことが分かりました。

『上海帰りのリル』や『お富さん』などは、
最近でもテレビやラジオから時々流れますから、
作品自体は耳にしていても、
その作曲家の声(ヴォイス)に、録音でも触れられたことは、
私にとって新鮮な体験でした。

もう60年も前の、ある日の渡久地政信 氏の声が収められたレコード・・・ 
ここでは写真にも撮りませんし、人知れず、時の経つごとに、
レコード盤ごと、いつかこの世から消えて行くのでしょう。

レコードも含めた「作曲家のあゆみ」とともに、
何か大きな視点で、物語を想像してみた“思い出しの日記”でした。