「Runaway」という未知の曲を追い求めて遭遇した、デル・シャノンの『悲しき街角』が入ったレコード 〜 そして貴重なファースト・テイクに出会う

歌手のデル・シャノン (Del Shannon) は、
かつて「街角男」と呼ばれて人気があったとのこと・・・
日米で突然ヒットした『悲しき街角』は、もちろん日本でも
オールディーズ作品に代表されるひとつです。

その『悲しき街角』(原題:Runaway)は、
1961年(昭和36年)に日米で大ヒットしているので、
まだ生まれていない筆者にとっては、
独自の出会いがある「思い出の作品」なのです・・・


まだ4歳くらいの幼い頃なので、1970年代の話です。
父親が若い頃に買ったレコードが少しあり、
興味本位で、そのいくつかを自分で聴いておりました。

その中でも、歌のないインストで、
何曲ものお気に入りが入ったLPレコードが、
聴き始めて何年か経ったある日、
突然に消えてしまったことがありました。
狭い家でもあり、両親はすぐに物を捨ててしまうため、
きっと捨てられてしまったのだろうと思っていたのです。

・・・それから、10年ほどの年月が経ち、
1980年代の中頃になった頃、
筆者の勉強部屋を用意する都合で、タンスのような大きい、
古い本棚を移動したら、積もった大量の埃の中に、
大きな黒いものがあり・・・
みんなで「何これっ!!」って、ギョッとしたら、
それは上記に書いた、筆者の思い出のLPレコードが、
真っ黒な埃まみれの状態であったんです・・・
しかも、むき出しの「盤」だけ(苦笑)

何で、こんなところにレコードが??? 
と言っていたら、幼い頃の兄弟が筆者へのいたずらで、
本棚の上から落として隠したことを思い出して告白され・・・・
「ひどいっ!!!」
筆者は激怒したものの、もう昔の話ですからね。

傷だらけで、ボロボロになっている盤を
まるごと水洗いして、何とか聴けるようにはなったので、
懐かしく思いながら聴いてみました。

既にジャケットは捨てられてしまったらしく、
残っているのは盤だけです。
黒色のラベルも擦れて、文字が見にくくなっており、
記載は英文字の原題だけで、
アルバム・タイトル以外の日本語は書かれていませんでした。

ちなみに、この時の筆者は、まだデル・シャノンも
『悲しき街角』という曲名も知らなかった頃です。

傷だらけのLPレコードから盛大なノイズと共に
聴こえてくるメロディーは、どれも懐かしく覚えていて、
いくつかのお気に入りの曲名を知りたいと思いました。
そのひとつが『Runaway』だったのです・・・ 

当時から、今も手元にある英和辞典(研究社、1984年の51刷)で
「Runaway」を引くと、「逃亡した」「手に負えぬ」
「駆け落ちの」・・・名詞だと「逃亡者」「脱走」などと
書かれており、この頃(1980年代中頃)の深夜に、
テレビで『逃亡者』という、
1963年のアメリカのテレビ映画が、名作として
放映されていたため、筆者は、このテレビ映画の
主題曲なのではないか?と推測していました(笑)

持ち主だった父親は、音楽に詳しくもないので、
分からないだろうと思いながら、
一応、このLPレコードの曲名を尋ねてみましたが、
やっぱり分からずで、ただ
「その曲は、当時とても流行っていた」ということは
言っていました。でも手がかりがないですよね・・・ 

同じ頃にアルバイトで買ったビデオデッキで、
その深夜放送でやっていたテレビ映画の『逃亡者』を
録画してみましたが、オープニングもエンディングもなく、
放送は本編だけでした(苦笑)

筆者が聴いていた、そのLPレコードのは、
ある楽団の演奏だったので、この曲が当時流行ったのなら、
他のアーティストでもレコードで見つかるかも知れないと、
中古レコード屋を随分探しましたが、見つからず・・・・ 

筆者は、色々な音楽に興味があるので、この頃は
ラジオから情報を得ようと、いろんな番組を
ラジカセを使ってカセットテープに録音(エアチェック)
もしていました。
オールディーズなどの、古い音楽がかかる番組なら、
ひょっとしたら、ボロボロのLPレコードで聴いているのと
同じ「Runaway」が流れるかも?と期待しながら・・・(笑)

やがて、深夜に放送していたラジオのオールディーズ番組を
カセットに録音していたら、ヴォーカルもので、
同じメロディーの作品を見つけました!

当時のオールディーズ番組の多くは、解説もなく、
何曲かかけては、アーティスト名と曲名をまとめて
アナウンスするだけ、のスタイルでした。
ですから、何曲目に流れたのかをカウントしていないと、
分からなくなってしまうのですね(苦笑)

・・・で、よく聞いていると・・・デルシャノン、
悲しきまちかど・・・とアナウンスされ、
その曲が『悲しきまちかど』であったことと、
ヴォーカルものであったことも知りました。
歌っているデル・シャノンという人物のボーカルも、
斬新で魅力的に思え、
全部をちゃんと聴いてみたいと思いました・・・と、いうのも、
ラジオ番組は多くの曲をかけようとするためか、
前の曲の最後、次曲の最後もフェードアウト(音をだんだん
小さくして行く)処理で、他の曲と前後が重なっていたり、
曲の途中で省略されることが多かったからです。

まだCDもあまり普及していない時代でしたから、
ちゃんと全部聴くには、中古レコードを探して購入するしか、
筆者には方法がなかったのです。
ですが、その1980年代中頃は、ちょうどバブル期の
真っ最中で、ボロボロのシングル盤(ドーナツ盤)でも、
昭和30年代に発売された古いものとなると、
プレミアがついて、数千円から数万円で、
中古レコード屋の壁に貼られていたような時代でした。
例え、掘り出し物を見つけても、
中学生、高校生の小遣いでは、とても手が出るような
値段ではなく・・・(涙)

もちろん、古くても人気のないものや、
在庫過剰などで、そこそこ安いレコードもありましたが、
書籍や映画のパンフレットなども含め、
全体的には「古いものは値段が高い」傾向にあった気がします。

ちょうど母方の祖母の家に行く途中、
関内に(後に伊勢佐木町にも)あった「ディスク・プラザ」という
中古レコード屋さんで、欲しいレコード見つけてしまった時は、
もう気になって仕方なく、
「こんな珍しいレコードがあった」などと、うっかり
祖母に言ってしまって、「じゃあ、買っておいで」と言われて
小遣いをもらい・・・・昭和30年代に発売された、
ボロボロの日本盤(日本のレコード会社が発売した洋楽)
シングル盤1枚を2千円とかで買ってました(苦笑)

2千円そこらなんて、当時としては安い部類だったのですが、
両親には理解がないので、知られると、もの凄く怒られるため、
祖母と筆者だけの「金額は内緒の中古レコード」もありました(笑)

その頃(1980年代中頃)の5月の連休に、
母親の祖母の家へ、家族で泊まりがけで行った時、
筆者だけ関内の「ディスク・プラザ」に寄り道して、
見つけてしまいました・・・ 
ジョニー・シンバルという歌手の
『僕のマシュマロちゃん』という日本盤シングルを(笑)

結構ボロボロで、赤盤でもなく、1500円してました。
買えなくもないのですけれど、高校生ですから、
他に必要なものもあるので、さんざん迷って、買わずに祖母の家に。
でもね、やっぱり欲しい訳ですよ(苦笑)

祖母は察したんでしょうね、欲しい中古レコードがあったんだろうと。
夜に2000円のお小遣いをもらったので、
明日「ディスク・プラザ」で『僕のマシュマロちゃん』が
買えると思い、嬉しかったものです・・・・ 

翌日、ボロボロでも初めて目にした『僕のマシュマロちゃん』の
レコードが、売れてしまっていないだろうか?と、
もやもやしながら「ディスク・プラザ」に行って、
オールディーズのコーナーで目にしたものは・・・・ 


デル・シャノンの4曲入り日本盤、
EP盤(コンパクト盤)でした。

初めて目にしたデル・シャノンのレコード! 
しかも、探しても見つからなかった
「Runaway」と書かれた、当時の筆者にとっては
幻の『悲しき街角』!! 
びっくりして、驚いて、何だか感動して、
手も震えるほどに・・・?(大苦笑)
 
でも、ジャケットは日焼けしてボロボロ。
油性の黒い太マジックで、
名前(漢字とローマ字の両方)と、
購入年月日などが書かれていて、汚れ具合も凄く、
見た目は相当に悪いです。
しかも、盤も大きな傷がいくつも付いていて、
傷だらけでした。
それでも、値段は2500円・・・

ちなみに、ジョニー・シンバルの
『僕のマシュマロちゃん』は、まだ残ってました!
両方とも欲しいですが、とても買えませんし、
「欲しいなぁ・・・」と思いながら、
デル・シャノンの4曲入りEP盤を手にとって、
しばらくの間、ずっと眺めていました(苦笑)

これだけ保存状態の悪いレコードなら、
すぐには売れないだろうと思いながら、ボロボロの
ジョニー・シンバルの『僕のマシュマロちゃん』だけ
購入したものの、何だか嬉しさも半減してしまい・・・
後ろ髪を引かれるような思いでした(苦笑)

まぁ、またいつか買えるだろうと、
自分を諦めさせていたら、
2日後、祖母の家から帰る時、祖母がこっそり、
内緒で3000円くれたんです・・・ 
筆者は何も言ってないのに。

それで筆者は「また中古レコード屋によりたいから」と
両親に言い、「えーっ、また???」と言われながら、
別れて自分だけ「ディスク・プラザ」に行くと、
2日ほど前に見た、そのデル・シャノンの
4曲入りEP盤は・・・

もうありませんでした・・・・ 


その時に見たのと同じものは、
あれから約30年後、通販で見かけたジャケットに、
目がとまりました。
それまで一度も見なかったのか、
気にしなかったのかは、分からないのですが、
その時に見つけたのがとても懐かしくなり、
思わず購入してしまいました。
以下の写真のものです。
入手値段は、税込で800円!(笑)

初めて「ディスク・プラザ」で見つけた時のものと、同じレコードです。
約30年ぶりに見つけたこのレコードの方が、日焼けはあるものの、ずっと綺麗です。


筆者にとって、
初めてデル・シャノンのレコードを入手したのは、
1980年代中頃に上記「ディスク・プラザ」にて、
ボロボロの4曲入りEP盤(上の写真にあるのと同じレコード)を見つけてから、
約5年後のことでした。
その間には、復刻盤のCDを入手したり、
祖母を介護した期間などがありましたので・・・ 

その、初めて筆者が手に入れたデル・シャノンのレコードは、
何と1963年にアメリカで発売された、
当時のオリジナル盤LPレコード
『Little Town Flirt』(Big Top 12-1308) でした。

アメリカで1963年に発売された、
オリジナル盤LPレコード『Little Town Flirt』(Big Top 12-1308)
EP盤のジャケットは、LP盤のジャケットの写真を流用しているものでした。

この頃、筆者はマスコミ系の専門学校へ通わせてもらっていて、
雑誌編集などのアルバイトをしていました。
そこで初めていただいたアルバイト代を持って、
新宿にあった輸入中古専門店「アーバン・レコード」に
初めて行って、見つけました。
多分、当時の筆者としては、過去購入した中古レコードで
2番目に高額な値段だったと思います(笑)

それでも、もう飛び上がるほど嬉しくて、即決しました。
レジにいたヤンキー風の怖いお姉さん店員は
「こいつ、こんな高いの買うのかよ?」という目で
筆者を睨んでましたが、筆者としては、
その値段で当時の音が聴けるなら、とても安い!と
喜んだのを今でも、よく覚えています。

それから、もう30年以上が経ち、
この素晴らしい作品を「当時のレコードの音で」
おすそ分けしたいと復刻CDにさせていただきました。
昔のレコードなので、ノイズは随分入りますけれど、
当時に近いように、比較的、重い針圧で再生した
オリジナル盤からの音は、本当に芸術です。
もちろん、CDにしているので、デジタルなんですけれど、
それでも、さほど、質感は失われておらず、
当時のムード、音質の雰囲気を保ったままで、
お楽しみいただけるものと思っています。

LPレコードの上に乗せた当方復刻CD『資料録音(37)』(XP-10037)

『資料録音(37)』(XP-10037)


このオリジナル原盤LPレコード
『Little Town Flirt』(Big Top 12-1308) は、
デル・シャノンのアメリカで発売されたアルバムとしては
2番目(セカンド)です。
『Runaway』は、デル・シャノンの初ヒットですから、
もちろんファースト・アルバムに収録されておりますが、
この2番目のアルバムにも『Runaway』が収録されています。

でも、この2番目のアルバムに当たる
『Little Town Flirt』に収録の『Runaway』は、
デル・シャノンが初めてスタジオ・セッションをした時の、
初めて吹き込んだもの・・・
つまり、貴重な初録音(ファースト・テイク)なのです。

『Runaway(悲しき街角)』には、実はいくつものバージョンがあり、
微妙に違いがあります。それまでラジオ番組で
流れていたものにも、デル・シャノンの歌う『悲しき街角』には、
いくつかのバージョンがあり、どれが最初の録音なのだろうか?と
思っていたものでした(苦笑)

1961年にヒットした『Runaway(悲しき街角)』の
オリジナルは、作者のデル・シャノンで、
ベンチャーズもヒットさせています。

筆者としては、デル・シャノンと、
先に聴いていた楽団ものと、甲乙付け難いですが、
後者のは、オリジナルとは違った形での良さがあり、
こちらもぜひ、鑑賞をお勧めしたい逸品です。
当方復刻CD『ヴィンテージ・イージー・リスニング』(EH-276)
収録しております。

よかったら、お聴き比べをしてみてください(笑)

デル・シャノンの歌う『悲しき街角』(『資料録音(37)』より)  筆者が先に聴いていた『悲しき街角』(『ヴィンテージ・イージー・リスニング』より)  (再生ボタンを押すと音声ファイルを読み込みます。音質は製品と同じではありません)

筆者は、いきなりデル・シャノンのオリジナル盤
LPレコードを手にしてしまったのですが、
その後は日本盤シングルも複数枚、
横浜にあった「アストロ」という中古レコード屋さんなどで
見つけては、コレクションして行きました。
バブルも既に終わっていたと申しましても、
1枚に数千円出してますから、
何か不思議な世界ですね(苦笑)

ずっと後になってから入手した日本盤シングル・レコード。昭和36年7月発売。


そのデル・シャノン (Del Shannon)、本名は
チャールズ・ウィードン・ウェストオーバー
(Charles Weedon Westover) だそうで、アメリカのミシガン州に
1939年(昭和14年)12月30日に生まれています。

アメリカにビートルズを初めて紹介した人物としても知られており、
1963年5月にデル・シャノンがイギリス公演をした時、
ビートルズが、彼の前座をしていたそうです。
最後は「うつ病」で自ら命を絶ってしまうという、
悲しいニュースが流れましたけれど、
彼の残した素晴らしい芸術は、
時を超えても、楽しませていただくことができます・・・


1990年2月8日、
カリフォルニア州サンタクラリタの自宅にて亡くなりました。

© 2025 磯崎英隆 (Hidetaka Isozaki)

コメントを残す