戦時中の『朗読(ニュース)』録音 〜 国内外の状況説明のムード

一枚のSP盤から聞こえてくる、
過去の状況説明のアナウンス音声・・・
なぜ、この録音がSP盤として作られたのか?
疑問に思うところですよね(笑)
文献資料としては、見つけられていないのですが、
ラジオ放送として流さず、レコードにして
東京都内の役所などに配り、ある程度の人数に
まとめて聞かせていたのでは?と、筆者は推測しています。
言葉の表現からして、将来のために録音を保存する意味で
作られたようなSP盤ではなさそうです・・・

SP盤のレーベルは、音研音盤。
正式名称は「音響科学研究所」で、
これを略して「音研音盤」としていました。
本来なら「音研レコード」でしょうけれど、
戦時中は「レコード」という単語の使用が禁じられ、
代わりに「音盤」とされていたからです。
音響科学研究所は、東京の下目黒にあったそうです。
個別の録音を請け負って製作されたSP盤しか見かけないため、
一般のレコード会社ではなく、
現在のインディーズ・レーベルみたいな組織だったのかも知れません。


ラベルの下に書かれている
「東京都芝区田村町 日本放送録音協会」というのが、
録音内容の製作者として解釈できるでしょうか。
「日本放送協会」なら、NHKになりますが、
「録音」の文字が入っているため、別組織なのかどうか・・・?
SP盤の録音タイトルには
『朗読(ニュース)』
『杵島炭鉱』『不知火』
の3つが入っており、どれも高橋放送員によるレポートでした。
最初の『朗読(ニュース)』は、
そのタイトル通り、ニュース原稿を読み上げているような録音です。
「高橋であります。ニュースを申し上げます・・・
我が軍は、去る20日未明にミンダナオ島に敵前上陸を敢行し」
と始まって、
島の中心地(録音では都市と言っている)ダバオの状況を説明しています。
録音では、昭和何年どころか、月も言っていないので、
「去る20日」しか分からないのですが、
1941年(昭和16年)12月8日に太平洋戦争が始まり、
12月20日に日本軍によるフィリピン・ミンダナオ島
ダバオへの上陸作戦があったことから、その日・・・
つまり、1941年12月20日のことを
「去る20日」と言っていることが分かります。
概要としては、現地を発展させた在留日本人たちが、
島のフィリピン人や支那人たちから、酷い扱いを受けている・・・
などという話でしょうか。
当時の話なので、筆者も詳しい時期にはピンと来ませんけれども、
「去る20日」という表現を考えますと、
12月20日から、そう遠くない日付に作られたSP盤
であると言えるでしょうか。
『杵島炭鉱』は、佐賀県杵島郡にあった炭鉱のことです。
現在進行形で発展の様子がリポートされています。
カタカタ、コトコト・・・炭鉱での音声が
背景に入れられておりました。
そして最後の『不知火(しらぬい)』は、
九州の海で見られる怪火のことです。
戦地の状況から、気分を紛らすような意味で
扱ったのかも知れませんね。
・・・以上の内容が録音されたSP盤でした。
何度も聴いて鑑賞するような録音ではありませんが、
既に80年以上もの年月が経ち、
当時の人たちは、これを聴いてどう思っていたのかと
思いを巡らしました(苦笑)
© 2025 磯崎英隆 (Hidetaka Isozaki)
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