山田耕筰 生誕140年・・・非売品レコードに残された校歌、そして最後の録音

以下、筆者の別のサイト記事
『山田耕筰 指揮による “最後の録音” 、
そして夫妻コンビによる “最後の吹き込み” レコード・・・を
山田耕筰の生誕140年に思う』
https://gloomy-sunday.com/archives/1458
にて書かせていただいておりますが、
日本を代表する作曲家、指揮者のひとりでもある、
山田耕筰(やまだ こうさく、旧名:山田 耕作)先生は、
今年、2026年で生誕140周年にあたります。
昨年(2025年)は、没後60年でした。
童謡以外にも、さまざまなジャンルの楽曲を
手がけられていた訳ですが、その中でも
一般に発売されるレコードの音楽とは違った内容・・・
つまり、市町村の校歌、企業の社歌などの
作曲も多くあります。これらは、私たちが
より一層 “聴ける機会のなかった” 音楽芸術でもあります。
その校歌や社歌の類は、おおよそ400曲あるとされ、
幼稚園歌から小学校、中学校、高校、大学まであり、
企業の社歌や音頭もあります。この一つ前の記事に、
丸善石油の社歌のレコードを御紹介してます。
それらは、もともと一般に発売されたレコードではないので
聴ける機会もないことから、とりあえずは
「聴いてみないと分からない」ジャンルであります。
さらに、解説情報もないことが多いため、私たちには
興味の損失もあったかも知れません。
筆者が手にした非売品のレコード、
『芦屋カレッヂ・ソング』も、楽譜の付いた
歌詞カードのみで、何の情報もありませんでした。
ジャケットは作られていないようです。


“芦屋カレッヂ”とは何か?
まず、Yahoo!検索に入れてみるも、
はっきりしなかったため、
国会図書館のデータベースで調べてみたら
文献がありました。
研究紀要 / 芦屋学園短期大学研究紀要編集委員会 編
芦屋女子短期大学 (現 芦屋学園短期大学) 学歌
『カレッジ・ソング』に観る大作曲家 山田耕筰の音楽的執念(2019年)
著者・編者:阪本 朋子、小西 淳子、田代 恭也、村崎 愛、横川 眞美
それで、遠隔複写サービスで取り寄せたのが
以下の研究紀要です。

(山田耕筰の)“音楽創作への情熱を畏敬の念をもって明示してみたいと考える”
とのことで書かれております。
山田耕筰 先生が作曲した『芦屋カレッヂ・ソング』というのは、
「芦屋カレッジ」という名称の学歌ではなくて、
「芦屋女子短期大学」のために昭和36年(1961年)に
作られた楽曲です。
山田耕筰 先生が70代の時の作品でした。
その「芦屋女子短期大学」は、後に「芦屋学園短期大学」になり、
2020年3月に閉校したそうです。
もう既に無くなってしまった学校の校歌になりましたが、
山田耕筰 先生の遺した音楽芸術のひとつとして、
御紹介いたしました。

『芦屋カレッヂ・ソング』
作曲:山田耕筰
作詞:大木惇夫
女性合唱団
山田耕筰 指揮、東芝コンサート・オーケストラ
芦屋女子短期大学の教育理念は、
「良き妻」
「良き母」
「良き社会への貢献者」の育成、だったそうです。
そこで、芦屋女子短期大学の校歌『芦屋カレッヂ・ソング』を
作曲された山田耕筰 先生が御自身で語った
「母と妻」への思いが、上記の研究紀要にて掲載されていました。
音楽の道へ進むことに唯一賛成してくれたという母親、
そして半身不随になった御自身を献身的に支えてくれたという
妻の存在・・・ そのような背景も、優しき思いが、楽曲に
込められているのかな・・・と、筆者はこのレコードを
聴きながら、考えを巡らしました。
『芦屋カレッヂ・ソング』は、山田耕筰 先生が作曲し、
吹き込み演奏のための指揮をされておりますが、
先生の奥様である山田真梨子(辻 輝子)氏とのペアで
活躍されている録音もあります。
一般市販されたレコード作品以外では、上記の
説明のような校歌や社歌などがあり、
『東京歯科大学校歌』も、そのひとつです。

東京歯科大学の創立20周年の記念事業として、
校旗と校歌を作ることが、昭和2年5月に決議され
作曲を山田耕筰 先生に、作詞を北原白秋 先生に
依頼することになったそうです。
北原白秋 先生の門下の高津弋 先生(当時の日本歯科評論主幹)が
作詞作曲の交渉に尽力されたとあります。
そして、昭和2年10月に完成してから35年ほど経ち、
この校歌には前奏と、ピアノ伴奏譜、そして合唱譜がなかったため、
昭和37年5月に福島学長によって山田耕筰 先生に依頼され、
10月には前奏と、ピアノ伴奏譜、12月には合唱譜が完成されたそうです。
それを吹き込まれて、昭和38年3月に完成されたのが、
写真の非売品レコードでした。

『東京歯科大学 校歌』
作曲:山田耕筰
作詞:北原白秋
山田真梨子(ソプラノ)
立川澄人(バリトン)
二期会合唱団(合唱)
山田耕筰 指揮、東芝コンサート・オーケストラ

当時、東京歯科大学では、大学拡充と大学院設置のために
寄付を受け付けていたそうで、このレコードは
その時の「寄付のお礼」として贈呈されていました。

☆
半世紀以上にも及んだ、山田耕筰 先生の長きに渡る
御活動の最後の指揮(吹き込み)レコードというのも
ありました。
そして、先生の奥様である山田真梨子 氏との
夫婦コンビで録音された最後のレコード・・・・
これを筆者が『資料録音(50)』にて
復刻CDとして収録させていただきました。

山田耕筰 先生の最後の吹き込みになった
複数トラックのレコードには、数年後に作られたものと
(金型の違う)2種類があり、
後者は、まさか盤起こしではないと思うものの
前者の方が音質は良かったため、
先に作られた稀少盤レコードから(筆者としては)
最高の音質にて録音することができました。
これが最後だったんだなぁ・・・と、しみじみ思いながら
山田耕筰 先生の素晴らしき作品を
いろいろ堪能していた、この頃でした。
追記:山田耕筰 先生が最後に吹き込まれたとされる録音まで、
一連の資料上の事実を羅列すると、大きな矛盾(謎)がひとつ
あることに気づかれるかも知れません。
でも、最後の録音の公式な事実に基づけば、その時以後の
いくつかの矛盾(謎)は、情報の間違いではなく、人道上、
あるいは良き方便だったと筆者は考えています。
© 2026 磯崎英隆 (Hidetaka Isozaki)
■English Summary
This article explores a lesser-known aspect of the Japanese composer and conductor Kōsaku Yamada (1886–1965), marking the 140th anniversary of his birth in 2026.
While Yamada is widely recognized for his art songs and orchestral works, he also composed a large number of pieces that were not commercially released—such as school anthems, company songs, and other institutional music. It is estimated that he created around 400 such works, many of which have rarely been heard or studied.
Among these is the “Ashiya College Song”, composed in 1961 for Ashiya Women’s Junior College (now closed). With little documentation available, the author investigates its background using archival research, including materials from the National Diet Library. The findings reveal Yamada’s enduring dedication to composition even in his later years.
The article also introduces a non-commercial record of the Tokyo Dental College Song, written in collaboration with the poet Hakushū Kitahara, and later revised and recorded under Yamada’s own direction.
These rare recordings, originally produced as commemorative or donation-related items, provide valuable insight into a hidden part of Yamada’s legacy. They also include what is believed to be among his final recording sessions, as well as performances featuring his wife, soprano Mariko Yamada.
Through these recordings, the author reflects on the emotional depth and personal background behind Yamada’s music—particularly his appreciation for his mother and his devoted wife, who supported him during difficult times.
This article highlights the importance of preserving and rediscovering such overlooked musical heritage.


