レコードは買わずに、借りてダビング(複製)していた方が増えた時代を考える・・・中編

この記事の「前編」は、当方の別のブログ

日曜洋画劇場のエンディング・テーマ(So in Love)が流れ出した頃
『レコードのムード』ブログ編

https://gloomy-sunday.com/

に掲載しております。

前編では、
貸レコード屋が日本国内で流行りだし、全国拡大してくると、
日本レコード協会や、各レコード会社が、
貸レコード屋を敵視し出してトラブルになって行く訳ですが、
40年ほど経った現在から、貸レコード屋「友&愛」と
「黎紅堂」の当時の主張を考えてみます・・・


までを書きました。
当時の記事を色々読んでみれば、当然に
それぞれの立場の主張がある訳ですが、
ここでは初期の頃を対象に考えたので、
当時のインタビューの記事を拾ってみます。
記事そのものは掲載できないため、要約になります。

黎紅堂(れいこうどう)」
株式会社黎紅堂 代表取締役社長 大浦清一 氏の話

「貸しレコード業を始めた動機」に対して。

図書館で借りられるレコードは、クラシックが
殆どであったので、ロックやニューミュージックなら、
需要があって商売になると思った旨を述べられています。
そして、クラシックのレコードも扱ったところ、
クラシックを聴かない人でも、200円なら安いからと
借りていくお客さんも出始めたそうです。

「お客の反応」

出店を裏路地から表通りにしたことで、
若い人達だけでなく、社会人のお客も多くなり、
安い値段で音楽が聴けることに、とても喜ばれているそうです。

「日本レコード協会加盟のレコード会社13社により、
黎紅堂と他3社が、1981年10月30日に提訴されて、

第一回公判を終えての見通し」に対して。

まず争点がないという認識で、
なぜ法廷に立たなければならないのか?ということと、
レコード会社にもプライドがあるから、負けを認めず、
和解になるだろうという考えを述べられています。

「提訴されたことでの影響」に対して。

話題になったことが宣伝につながり、多くのお客から激励を
もらうようになったことと、
全チェーン店にて、売上が2、3割アップしたそうです。

「その他のことをまとめて」

お客さんが一番喜ぶ形態で音楽を提供すること。
貸しレコード店が増えることによって、
小売店が潰れるだけでなく、メーカーが潰れたら
どうするんだという「音楽業界」からの批判に対し、
その時は自分達(黎紅堂)がメーカーとして
レコードを作る旨を語っています。
レコード会社だけが音楽を作り上げているのではない、
という主張です。

レコード小売店は、試聴をさせなくなり、
お客は中身を確かめて買うことが出来なくなった。
そして、歌謡曲などは、ヒットした1曲のために
LPを買うと、他の曲はつまらないのが殆どであると言います。
未来に向けては、音楽業界で1番の影響力を持つ存在になり、
音楽ユーザーが望むような、売れる商品をどんどん作りたい・・・
売れない商品でも在庫として置き、企業の危険を
少なくして供給できるはず・・・
という内容が語られていました。

他にもアーティストや、レコード会社の内部の問題、
ジャスラックに対して集めたお金の問題などが
語られていますが、それらの「貸しレコード店」業務以外
のことは別として、どう思われるでしょう?

この後、貸しレコード業界には、
色々あった訳ですけれども、
この1981〜2年頃の初期、つまり貸しレコード屋が、
日本全国の商店街に出没して流行った時代、このような商売に
需要が集まっていたという歴史を思い返すために取り上げました。

お客は安い値段でレコードが聴けるという利便に、
それを提供して喜んでもらうことに対価をいただく
という形態です。
ここでは書きませんが、そういった事情を考えた時、
この時代だけでも色んな問題や、それぞれの人の立場があり、
みんなに恩恵があって豊かになっていけるよう
に思いを巡らせることが、
必要なことであると私は考えます。
安価なことは、お客にとって何でも魅力的ですが・・・
 

全国レコード商組合連合会による
貸しレコード反対のための「全国総決起大会」が
昭和56年(1981年)11月18日に
日比谷公園野外音楽堂にて行われました。

次回は、貸レコード屋「友&愛」のインタビューをみてみます。