ハリウッド・レコーディング・スタジオにての石坂範一郎 氏を探して・・・

(この記事は前ブログサイトへ2018年7月8日以前に掲載していたものです)

アメリカのキャピトル・レコードにて
作られた1958年の資料を使うことがありました。
この資料そのものは、20年位前に入手しているのですが
その中に、ハリウッド・レコーディング・スタジオにて
撮影された写真があり、中央に日本人が写っています。

記載の文章を読んでみると、
ローマ字で “ノリイチロウ イシザカ” とあり、
東京芝浦電気の(云々)・・・と書かれていました。

日本のレコード会社から、
キャピトル・レコードへ売り込みに来たという
内容だと思いますが、当時の私には、
この人物がどういう方なのかを存じ上げなかったのです。
当時、ヤフー検索もしたと思うのですが、
きっと何も出て来なかったのでしょうね。

その石坂範一郎 氏は、
日本ビクター音楽工業洋楽部長、東芝音楽工業洋楽部長を経て、
東芝音楽出版顧問、日本著作権協会常任監事だったそうです。
下の写真の右側は、その石坂範一郎 氏の
最後の仕事となったという翻訳本です。

『レコードの歴史』~エディソンからビートルズまで”
音楽之友社 発行

昭和56年10月20日の第1刷ですが、
1950年4月23日死去 になってます。
いくらなんでも1950年は間違い(誤植)ですね。

1906年9月21日のお生まれ、
1980年4月23日に亡くなっているそうです。
享年73歳。

上記『レコードの歴史』に
野口久光 氏の序文で「享年74歳」とあるのは
数え年らしい・・・

さて、あらためてこの写真について考えてみました。
下の写真は、1958年1月に
アメリカのキャピトル・レコードにて発行されたもので
日本で言う社内報のような感じでしょうか。

石坂範一郎 氏がキャピトルへの訪問滞在中に、
このハリウッド・レコーディング・スタジオへ寄った時の
写真のようです。
現在みたいに、すぐに印刷物が出来上がる訳ではないので
石坂範一郎 氏の写真は、おそらく前年の
1957年10月か、遅くても11月頃に撮影されたもの
ではと推測します。

写っているメンバーですが、
右側は、インターナショナル・プロモーションの指導主事(監督)
のピート・デュショウ氏で、中央前が石坂範一郎 氏、
その後ろはアナウンサーのボブ・ベイリー氏です。
この方は、キャピトル・レコードがスポンサーになって
世界で放送している(いた)ラジオ番組
『ミュージック・ビューズ・フロム・ハリウッド』のアメリカでの
DJを当時していた方です。
余談ですがイギリスでもヒットしていたようで、当時の
資料も残されています。

そして左に、インターナショナル・プロモーションの
アシスタント(つまりピート・デュショウ氏の部下)
のキング・レーン氏がいます。

イギリスのEМIが、キャピトルとの共同発売で始めた
「世界の音楽」シリーズは、東京芝浦電気(東芝レコード)
でも1957年8月から、毎月LP1枚のペースで
始めていますので、既にインターナショナル・プロモーションとも
ビジネス関係はあったのでしょう。

1958年4月には、そのシリーズで、東京をテーマにした
ものも発売されているため、ひょっとしたら
この写真は、その企画の打ち合わせ(売り込み)も
あったのかも知れませんね。推測の域を出ませんが(苦笑)

とにかく、私にとって20年前は謎の人物でしたが、
あらためて偉大な行動をなされた方だったと
思う次第です(笑)

ちなみに、このキャピトルの内面的 資料には
他にも興味深い記事や写真も残されているので
また別の記事にて御紹介したいと思います。

また、1950年代のキャピトル・タワー内
レコーディング・スタジオでの貴重な音を紹介した記事も
もう一つ別の記事(次の記事として再掲載しました)にありますので
よろしかったら、こちらも御覧になってください。

キャピトル・タワーのレコーディング・スタジオ内で聴く「外からの声」