消えたレコードを追い求めた話「リトル・ダーリン」後編
(中編からの続き)
日本のキング・レコードから昭和32年に発売された
ザ・ダイアモンズの「リトル・ダーリン」の
レコード盤だけを持ち去られて、
聴けなくなった私は、昭和56年にコダック社の
テレビCMのために作られた復刻盤にて、
再度、楽しむことができるようになりました。
しかしながら、音質にあまり満足しなかったことと、
B面が「ディン・ドン」ではなかったため、
こちらも聴きたいと思っていました。
・・・それから数年が経ち、この記事最初の場面へと戻ります。
中学3年生の夏休みに入った頃(1980年代中頃)、
横浜の中古レコード屋さんで、
フィリップス・レーベルの復刻盤を手にして
大感激した訳です。
両面共に同じ曲ですからね(笑)
原盤の(アメリカの)マーキュリー・レコードは、
フィリップス・レコードに買収されたことで、
日本では販売権がキング・レコードから
日本ビクターへ(昭和37年1月より)変わりました。
私が手にした、そのフィリップス・レーベルのは、
昭和37年11月発売ですから、日本ビクターから
発売されたものです。
値札は2千円になっていたので、中学3年の私には、
かなり高い買い物ではありましたが、
金額のことよりも聴ける事が何より嬉しくて、
もう飛び跳ねるような気分でした(笑)
ここから歩いて、今は無い思い出の東宝会館(映画館)の
前を通り、伊勢佐木町通りへ出て、
日本で有名な2人組の音楽グループ “ゆず” が
路上ライブをしていたという横浜松坂屋や、
大きなレコード屋さんだったハマ楽器の前を通り、
他の中古レコード屋さんや、古本屋にも
立ち寄って楽しみながら、
伊勢佐木長者町のメインストリートをながめ、
途中左に曲がって、横浜橋商店街に出ます。
笑点の “歌丸” さんの家の付近から、そのまま行くと
三吉演芸場になるのですが、そこまで行かずに
右へ曲がって横浜市大病院まで行き、
その近くの祖母の家まで歩いて行くのが、
当時の私のルートでした(笑)
歩くと結構ありますよね。
現在は、それら風景もまったく変わって
しまいましたが・・・私も?!(苦笑)
で、祖母の家について、さっそく
針を降ろしてみると
「う~ん・・・どうでしょう?」
かなりのエコー(残響音)が、かけられているのです。
カスタネットの軽快なリズムの
イントロで始まるのに、
何かお風呂場で演奏しているようなエコーが
入れられているために、
その部分は台無しに思えました(笑)
B面の「ディン・ドン」も同じく、
エコーが入れられ、何か中華風みたい。
せっかく見つけて購入して来たのに、何だか
複雑な思いでした。
実は、これをヘッドフォンでよーく聴くと、
ちょっと、おかしな部分が2、3カ所あります。
当時のハイファイとして、音を良く聴かせよう
として、エコーを入れたのかも知れないと
考えていたのですが、ひょっとすると、
「テープを傷つけてしまい、それを隠すために
エコーを入れたのではないか?」と、
近年の私は思いました。
あくまで「推測」ですが。
その後も、中古レコード屋巡りは、
しばらく続きますが、「リトル・ダーリン」の
キング・レコード盤は、見かけることがありませんでした。
プレミアの付いた高額な中古レコードなんて、
そうそう買えません・・・ そこで、古い音源が
復刻されつつあった新譜CDに、
私の対象はシフトして行くのです。
近所のレコード屋さんで、
業務用のCDカタログを見せてもらい、
もう端から端まで探しましたよ~(笑)
当時、「日本フォノグラム」のカタログと、
「その他、全部の会社まとめて」のカタログとに
別れていて、前者の方を見ていました。
『リトル・ダーリン~
思い出のゴールデン・ミリオン・セラー』という
タイトルを見つけ、やったーっ!て、感じです(笑)
当時発売されたばかりの新譜でした。
定価は3200円。当時、高校生の小遣いでも、
ちょっと大変かな・・・
この頃の私のCDプレーヤーでは、
特に音質が良いも悪いも無かったのですが、
現在聴いてみると、もの凄く良い音質で入っています。
既に紹介済みの日本フォノグラムのシングル盤より、
ずっと良質な音に聴こえました。
ただし、ここにも「ディン・ドン」という曲は
入っていないんです・・・ 結局、この曲が入ったCDは
見つけられませんでしたが、他にも続々とレコード会社から
復刻されて来るCDの探索が楽しみでした。
・・・でも、この試みは(以前の記事に書いてますが)
あまり長続きしませんでした。
現在のようにインターネットがあったら、
また違ったかも知れませんけれど、
思うように作品が見つけられなかったことと、
レコード会社も利益を出さなければならない理由なのか、
結局は過去の作品でも「流行もの」が殆どです。
研究を兼ねて、どんどんマニアックな方向に
行ってしまったため、また中古レコード、それも
当時のものを意識するようになっていました。
(追記編に続く)